平城宮跡

平城宮跡とは

平城宮跡は、奈良県奈良市にある宮跡であり、古都奈良の文化財の8つの資産のひとつである。1998年12月2日に京都市で開催されたユネスコ世界遺産委員会で、古都奈良の文化財は日本の歴史に政治的、文化的に影響を与えたことや、当時の伝統が今もなお現代の人々に根付いていることなどが評価された結果、ユネスコの世界遺産に登録されている。日本では7番目の文化遺産である。

概説

710年に奈良時代最大の首都である都市、『平城京』に都を移した。平城京は、唐の長安をモデルにして造り、総面積約2500ヘクタールもの広大な広さを持ち、10万人以上もの人々が暮らしていた。その巨大な平城京の中核とも言える場所が『平城宮』である。平城宮は日本の政治・経済・文化の中心地であり、都を治める官公庁などが集まっていた。約125ヘクタールもの広大な土地を持ち、天皇の御所である内裏、政治の中心となった大極殿、朝堂院、周りには官八省一台の役所があった。皇族や貴族関係の者など、平城宮に入ることができる人は限られていた。784年に都は平城京から長岡都に移り、時は経ち平城京は土の中に埋もれ農地となった。時は流れて江戸時代後期の山陵研究家『北浦定政』によって平城京の研究が行われた。1861年に、『平城宮大内裏跡坪割図』が完成した。明治時代には、『関野貞』と『喜田貞吉』などによる研究が行われて、少しずつ奈良時代の都の姿が明らかになっていった。明治時代から大正時代にかけて『棚田嘉十郎』を中心に平城宮跡を保存したいという想いから『平城宮址保存会』が設立。1922年に平城宮第二次大極殿・朝堂院跡が史跡に指定された。1952年には平城宮跡の一部が特別史跡に指定されて、その後も少しずつ史跡に指定されていった。平成時代に入り、1998年には朱雀門・東院庭園の復原が完成して、2010年には第一次大極殿の復原が完成した。現在も、復原された建物を観光することができる。

平城宮跡の特徴

奈良県奈良市にある『平城宮跡』は、現在『平城宮跡歴史公園』となり観光地として親しまれている。国を代表する建物であった、華やかな建築物『朱雀門』、当時、重要な国家の儀式が行われていた『第一次大極殿』、日本庭園の原点とも言われている『東院庭園』などがある。そして、『平城宮跡資料館』では平城宮跡について詳しく知ることができる施設である。

時間
9時00分~16時30分(※施設によって時間帯の前後あり)

料金
無料

アクセス

近鉄大和西大寺駅南口より徒歩→20分

無料駐車場有り(※一部有料)

免責事項

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