平泉

平泉とは

平泉(平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群)は、岩手県南部の地名であり、古くから存在している寺院や遺跡などが評価され2011年6月にフランスのパリで開催された第35回世界遺産委員会によってユネスコ世界遺産に登録された。

概説

『平泉』とは岩手県西南部にある地名である。川に囲まれていて泉が豊かであったことから平泉という名がついたと言われている。平泉で最も有名なのが『奥州藤原氏』であり平安時代末期に100年もの間、平泉の歴史を築き上げてきた。奥州藤原氏の初代『藤原清衡』は幼い頃より複雑な家庭環境で育ち、血縁関係などの争いに巻き込まれていく。東北地方で勃発した『前九年の役』によって、藤原清衡の父親である『藤原経清』は、源頼義によって処刑されてしまう。その後、安倍頼時の娘である母親は、清原武貞と再婚したことにより、藤原清衡は藤原の姓を捨てて、『清原清衡』と名乗るようになった。前九年の役より約20年後、『後三年の役』が起き、兄弟にあたる『清原家衡』、『清原真衡』と争うこととなる。敵や味方が入り乱れる戦いは多くの犠牲者を出すことになり、妻と子まで失ってしまう。清原清衡は勝利を治め、再び『藤原清衡』と名乗るようになった。地獄のような戦いを終えた藤原清衡は、極楽浄土の世界を求めて、『平泉』に拠点を移した。その後、経済力や優秀な技術者などによって繁栄した平泉は、藤原清衡が亡くなった後も、息子の『藤原基衡』、孫の『藤原秀衡』の奥州藤原氏三代によって支えられていった。しかし、四代目である藤原泰衡の代の時に、源頼朝との争いに敗れた結果、奥州藤原氏は滅亡した。

世界文化遺産に登録された平泉の5つの資産は、奥州藤原氏ゆかりの寺であり、850年に慈覚大師円仁によって開山され、金色堂があることでも有名な『中尊寺』、中尊寺と同じく850年に慈覚大師円仁によって開山され、特別史跡と特別名勝の二つに指定されている『毛越寺』、二代基衡公の妻が建立したと言われている観自在王院の寺院跡の『観自在王院跡』、藤原秀衡が建立した無量光院の史跡『無量光院跡』、中尊寺と毛越寺のほぼ中央に存在する山『金鶏山』である。また、5つの資産をサイクリングで回ることも可能であり、平泉駅前にレンタサイクルのお店がある。

拝観時間(※以下、中尊寺)
8時30分~17時00分(3月1日~11月3日)
8時30分~16時30分(11月4日~2月末日)

拝観料
大人:800円
高校生:500円
中学生:300円
小学生:200円

アクセス

平泉駅より徒歩→約20分

駐車場:周辺に有料駐車場あり

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