
興福寺とは
興福寺は、奈良県奈良市にある寺院であり、古都奈良の文化財の8つの資産のひとつである。
概説
『興福寺』の始まりは飛鳥時代に遡る。中大兄皇子と大化の改新を行った『中臣鎌足』が病気になったことで、中臣鎌足の妻『鏡大王』が病気平癒の願いを込めて、669年に山背国山階(※現在の京都府京都市山科区)に『山階寺』を建立。山階寺は後の『興福寺』である。672 年に大友皇子と大海人皇子の皇位継承をめぐり、『壬申の乱』が勃発。壬申の乱の際に、飛鳥に移された山階寺は『厩坂寺』と呼ばれるようになった。710年の平城遷都と共に、中臣鎌足の子供である『藤原不比等』によって現在地でもある平城京左京に移転した。そして名も再度改められ、『興福寺』となった。726年になると、東金堂と五重塔が建立されたが何度も火災に見舞われて焼失した。現在の東金堂は1415年に再建されて、五重塔は1426年に再建されたものである。813年に『藤原冬嗣』によって、父である藤原内麻呂の冥福を願い『南円堂』が建立された。その後4回もの再建が行われて、現在の南円堂は1789年に造られたものである。しかし、1868年に『神仏分離令』が発布されたことにより興福寺は廃寺に追い込まれてしまう。その後1881年に、興福寺の再興が許可されて、伽藍などの修復が行われて現在の姿になった。
興福寺の特徴
『興福寺』は奈良公園内にある南都六宗のひとつ、法相宗の大本山の寺院である。境内には金堂の内、唯一現在も存在する室町時代に造られた『東金堂』、東寺の五重塔に次いで二番目の、50メートルの高さを誇る『五重塔』、興福寺で最も古い建築物で、平安時代の建築様式が楽しめる『三重塔』、八角形の堂宇であり、日本にある八角円堂の中で最も美しい堂とも言われている『北円堂』などがある。江戸時代に再建された日本最大の八角円堂の『南円堂』は年に一度、10月17日に行われる、『大般若経転読会』のときのみ特別開扉されている。また、興福寺では国宝仏像を多く所蔵しており、全国にある国宝仏像の1割以上を占めており、その数は日本一である。『興福寺国宝館』にて阿修羅像、千手観音菩薩立像など、多くの国宝仏像が収蔵されている。
拝観時間
9時00分~17時00分(年中無休)
拝観料
興福寺国宝館
大人:700円
中高生:600円
小学生:300円
東金堂
大人:300円
中高生:200円
小学生:100円
中金堂
大人:500円
中高生:300円
小学生:100円
アクセス
近鉄奈良駅より徒歩→5分
駐車場あり(※有料)