サンデーサイレンスとは
サンデーサイレンスは米国で活躍したサラブレッドで1989年に米国のクラシックで2冠を制した。競争馬としての生涯成績は14戦9勝。競走馬引退後に日本に輸入され種牡馬として大活躍し日本の血統地図を塗り替えたとまで言われている。2002年に蹄葉炎を発症し16歳で死亡した。
競走馬としてのサンデーサイレンス
サンデーサイレンスは1986年3月25日にアメリカ合衆国のストーンファームにて誕生した。デビューまでには2回ほど大きな危機があり、1回目は1歳の頃にウイルスに罹り生死の境を彷徨い、2回目は2歳時に運搬車の運転手が心臓発作を起こし、乗っていたトラックが横転した。ただしサンデーサイレンスはいずれもなんとか生き延びている。
その後、1988年にデビューしデビュー戦は2着であったが続く未勝利戦を勝ち上がり、さらに続戦となった一般競争で2着に終わり3戦1勝で2歳時を終える。3歳となったサンデーサイレンスは3月の一般競争で勝利した後で能力が一気に開花、続くレース5連勝し米国の2冠馬にまで上り詰める。その後三冠がかかったベルモントSではライバルであったイージーゴアに敗れ、惜しくも3冠を達成することは出来ず続くスワップスSでも2着になったサンデーサイレンスは夏を休養に充てる。秋に復帰後は始動戦であるスーパーダービーを勝利し、続く米国競馬ではNo1競走となるBCクラシックも優勝する。この活躍によりアメリカの年度代表馬、最優秀3歳牡馬に選出された。翌年カリフォルニアンSで復帰し優勝するも次戦となったハリウッドゴールドCHSで2着に終わりその後靱帯に損傷が見つかり引退することになった。
種牡馬としてのサンデーサイレンス
競走馬としては申し分ない活躍をしたにもかかわらずサンデーサイレンスは父親のヘイロー産駒の成績が伸び悩んでいたこともあり、場産地での評判は高くなかった。その時、日本の社台ファームの創設者である吉田善哉氏が購入を打診し合意に至ったため、日本に種牡馬として輸入されることになった。輸入された後は馬産地での期待も高く社台グループのバックアップもあり、多くの産駒が世に誕生した。そして生まれた産駒がデビューを果たすと怒涛の勢いで勝ち星を積み重ねて行き、初年度産駒がデビューした翌年1995年から死亡した2002年を越え2007年までリーディングサイヤーに輝く事になった。なお、サンデーサイレンスが記録したリーディングサイアー、通算勝利数、通算GI勝利数、年間勝利数、年間獲得賞金額などいずれも種牡馬としての最多記録を保持している。
サンデーサイレンスの血統
ヘイロー |
ヘイルトゥリーズン |
コスマー |
ウィッシングウェル |
アンダースタンディング |
マウンテンフラワー |
サンデーサイレンスの競走馬成績
レース名 |
着順 |
未勝利 |
2着(P.ヴァレンズエラ) |
未勝利 |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
一般競走 |
2着(A.グライダー) |
一般競走 |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
サンフェリペH(GII) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
サンタアニタダービー(GI) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
ケンタッキーダービー(GI) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
プリークネスS(GI) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
ベルモントS(GI) |
2着(P.ヴァレンズエラ) |
スワップスS(GII) |
2着(P.ヴァレンズエラ) |
スーパーダービー(GI) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
BCクラシック(GI) |
1着(C.マッキャロン) |
カリフォルニアンS(GI) |
1着(P.ヴァレンズエラ) |
ハリウッドゴールドCHS(GI) |
2着(P.ヴァレンズエラ) |
サンデーサイレンスの種牡馬成績
年 |
成績 |
1994年 |
31 |
1995年 |
1 |
1996年 |
1 |
1997年 |
1 |
1998年 |
1 |
1999年 |
1 |
2000年 |
1 |
2001年 |
1 |
2002年 |
1 |
2003年 |
1 |
2004年 |
1 |
2005年 |
1 |
2006年 |
1 |
2007年 |
1 |
2008年 |
7 |
2009年 |
28 |
2010年 |
80 |
2011年 |
144 |
2012年 |
390 |
競走馬情報
生年月日 |
1986年3月25日 |
性別 |
牡馬 |
毛色 |
青鹿毛 |
通算成績 |
14戦9勝 |
主な勝ち鞍 |
BCクラシック、ケンタッキーダービー、プリークネスS、サンタアニタダービー、スーパーダービー |
所属厩舎 |
チャーリー・ウィッティンガム |
生産者 |
Oak Cliff Thoroughbreds |