富岡製糸場

富岡製糸場と絹産業遺産群とは

富岡製糸場は群馬県富岡市にある製糸工場であり、絹産業遺産群は、伊勢崎市・藤岡市・下仁田町にある3つの史跡によって構成された文化遺産である。2014年6月にカタールのドーハで行われた第38回世界遺産委員会で、世界遺産に登録された。

概説

『富岡製糸場』の歴史は江戸時代末期に遡る。日本の国際化が進んだことにより1859年に横浜港が開港され、海外との貿易が始まり、横浜は日本を代表する貿易都市となった。当時最大の代表的な輸出品は生糸であった。海外では生糸の需要が高まったのだが、生産が追い付かなくなったため日本から生糸の輸入が必要となったことが理由である。明治維新後、日本は外国との戦争資金を必要としていたため、生糸を輸出することで資金を集めることに目をつけた。生糸の大量生産をすることになった日本であったが、生産が追い付かなかった為、質の悪い生糸を生産せざるを得なかった。結果、海外からの生糸の品質改善と生産向上を求められたことにより製糸産業の育成に力を入れるようになった。しかし当時、製糸産業の育成のために民間資本で製糸工場を建築することは難しい状況であった。そこで、明治政府によって官営模範工場として『富岡製糸場』を建設することになった。(※官営模範工場とは、明治政府が殖産興業の政策のために、民間の模範となる工場にするべく率先して創建された工場のことである。富岡製糸場は、八幡製鉄所、造幣局と並んで日本三大官営工場とも呼ばれている。)富岡製糸場が建立された群馬県富岡市は、自然豊かで土地も広く、養蚕が盛んであった為、生糸を生産する場所に適していた。フランス人技師、ポール・ブリュナによって建設された富岡製糸場は、働き方もフランス式を取り入れた。当時日本の製糸工場で働く女工は『女工哀史』と呼ばれていて、劣悪な労働環境の中、多くの女工が命を落としていた。フランス式の労働環境によって、労働時間は1日8時間、週休1日、夏季・冬季休暇有りという、当時としては好待遇な条件で働ける環境であった為、全国から多くの女性が富岡製糸場に集まった。その後1893年に三井家に払い下げされて、1939年には片倉製絲紡績に合併された。だが、製糸業は徐々に衰退していき1987年に富岡製糸場は閉所することとなる。富岡製糸場は今もなお、当時の美しい状態のまま保管されている。富岡製糸場の他に、『絹産業遺産群』である『荒船風穴』『田島弥平旧宅』『高山社跡』も世界遺産に含まれる。

富岡製糸場の特徴

富岡製糸工場は内部見学が可能であり、当時の様子を感じることができる。フランス積みと呼ばれるレンガで作られた建築も楽しめる。

時間
9時00分~17時00分

入場料
大人:1000円
高校・大学生:250円
小中学生:150円

アクセス
上州富岡駅より徒歩→15分

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